はじまりと日常1

はじまりの日

 

――健介、今日からここに一緒に住んでやる。

ある日、突然やって来た燃えるような髪色の青年は、そう告げると、とても偉そうに胸を張った。
青年は己を『徳次郎』と名乗った。

『徳次郎』

それは30年も前に死んだ、とても大切な家族だった鶏の名前。
目の前の青年は、その鶏の、徳次郎本人だと言うのだ。
死後、鶏にしては賢く勇敢だった徳次郎は、近所の北見山神社の神様に見初められ、神使となったらしい。
そして30年の間、徳を積み人間になった。
でもまだ人間としては半人前だから、ちゃんと人間として生きることを学ぶ必要があると、人と一緒に生活する為に、生家へ戻って来たというのだ。

……そんなこと、信じられるわけがない。

疑いの眼差しを向けると、青年はやはりどこか威張った様子で『まったく俺がわからないなんて仕方ないやつだ』とのたまって。
くるりと回れば、そこには懐かしい赤く立派な鶏冠をぴんと立て、どうだとばかりに胸の羽を膨らませた鶏が。

『徳次郎』

思わず、長い間口にすることがなかった名前を呼べば、そこにはまたあの青年が満足げな様子で立っていた。
そしてまた。

――健介、今日からまた、一緒に住んでやる。

繰り返された言葉に、ただ無意識に頷いてしまったのは一体、何故なのか。
ばかばかしい、白昼夢のような出来事は到底人に話せるようなことじゃない。
それでも、それが。

徳次郎との日々の、紛れもない始まりだった。

 

徳次郎と屋根

【 健介 】 side

 

徳次郎は屋根の上に登るのが好きだ。
たしか昔から高い所に良く登っていて。
鶏で飛べないくせに、庭の松の枝や鶏小屋の上を伝って器用に屋根の上にたどり着いて、度々ご来光とともに時の声を上げていた。
その時の習慣なのか、人間の姿になっても、姿が見えないと思ったら大抵屋根の上にいる。
あまりにもその回数が多いので、何故高い所が好きなのか聞いてみたら。

「知っているか、健介、昔鶏は空が飛べたんだ」
そう言ってどこか遠くを見るような目をすると、
「誰よりも高く高く飛べて、遠くをみる事ができだが、うっかり近くの大切なものを忘れてしまって、神様からばつを喰らって、飛べなくなったんだ」
「本当なのか、それ」
「嘘だ」

……てっきり、神様の使いである徳次郎が言うのだから、本当だと思ったのに、あっさりそんなことを言う。
思わず「そんな嘘をついて徳は減らないのか」と言ったら。

「冗談くらい、神様は大目に見てくれるさ」

そう言ってまた徳次郎は屋根の上に上っていく。
結局のところ、何故高いところが好きなのかはぐらかされてしまっていることに気がついたが。言わないということは、もしかしたらただ好きだからという理由ではないのかもしれない。
ただ、さしずめ今も昔も思うのは、徳次郎が屋根の上にいる様子はまるで風見鶏のようだと思った。
幼い頃、鶏に癖に自分を庇う様なしぐさをする徳次郎はまさに魔除けのシンボルである風見鶏そのもので。
今はまだ、試験期間中らしい徳次郎は他の人間からは見えないから人目を気にせず屋根の上にいるが。そのうち本当に人間になってしまったら、こうやって屋根に上ることもなくなってしまうのだろうかと考えると少しさびしいと思った。

「徳次郎」
「……呼んだか」

何気なしに名前を呼ぶとにゅっと徳次郎が屋根上から逆さまになって顔をのぞかせた。
その姿に思わず「徳次郎は、風見鶏みたいだな」とこぼしたら。
徳次郎はむうっと口をへの字に曲げたあと。

「……当たり前だ」

そう返して、ぷいっとまた屋根上に引っ込んでしまった。
そんな徳次郎の態度に。
ふと昔、まだただの鶏だった徳次郎相手に魔除けの風見鶏の話をしたことを思い出して。
……つまり、徳次郎が屋根にいる理由は。

「……徳次郎は、本当に風見鶏なんだな」

呟いた言葉に、屋根上から当たり前だと言うばかりに時間はずれの時の声が聞こえた。

 

徳次郎と家庭菜園

【 健介 】 side

「おい、みろ。おいしそうに出来た」

そう言って無骨な形のトマトを手に徳次郎は嬉しそうに笑う。
群青色の甚平に、軍手、髪は日本人に似合わない赤毛。
ちぐはぐな格好で土いじり。
最近、徳次郎は家庭菜園にはまっている。
以外にも、まめに世話を焼いている所為か、もともと才能があったのか。
庭の一角に、赤いレンガで区切られた長方形の中では、トマトと胡瓜がこぢんまりとした中で元気一杯にひしめいている。
まだ実のなってない茄子も、おそらくこの分だと秋には茎をしならせるんだろう。

「おい、健介、これでなんかうまいものをつくれ」

ぱちん、ぱちんと剪定ばさみを鳴らして、収穫したトマトと胡瓜をざるに乗せ。
徳次郎は意気揚々とそう言うが、トマトと胡瓜じゃ、たいしたレパートリーのもち合わせがない自分には、サラダぐらいしか思い浮かばなかった。

「サラダでいいか」
「またサラダか!せっかく俺が野菜を作ったのに、他にはないのか?」

案の定、そのまま口に出した提案は徳次郎の意には沿わなかったらしく、大きくため息をつかれた。

「……そんなにたくさんは食べれないな、お隣か、今度幼稚園に持っていくか」
「駄目だ! これは俺が食べるんだ!」

ざる一杯に盛られた野菜に思わず呟くと、徳次郎がすかさず野菜を隠すようにしながら叫ぶ。
すると、徳次郎はぽんっと音を立てて。

「……コ、コケェーーー!?」

確かに、食べれない量を無理に独り占めするような考えは良くないが、鶏の姿に戻ってしまったのは少し、かわいそうだと思う。
初めて自分で育てた野菜だ、少しばかり執着してしまうのは仕方がないだろう。

「徳次郎、食べれない分はお隣に持っていこう。せっかく美味しそうに出来たんだ」
「………」

しぶしぶだが、こくりと鶏がうなずく。
多少神様も徳次郎の気持ちもくんでくれたらしい、またぽんっと徳次郎は人間の姿に戻った。
同じ轍を踏むことはないが、やはりどうしても名残惜しそうにトマトと胡瓜を見つめて。

「………今度は、料理を覚える」

ポツリと徳次郎がこぼした言葉に、思わず笑いをこらえられなかった。

 

徳次郎と神様の仕業

【 健介 】 side

ある日やって来た青年は己を昔飼っていた鶏だと言った。
しかし、いくら目の前で昔の姿になるところを見せられたところで、そんな頭のおかしいことを、すとんと受け入れられることが出来たのは、ひとえに徳次郎を神使とした北見山神社の神様の仕業らしい。
徳次郎のことで下手に混乱を招くのは、よろしくないとの事で力添えをしてくれたと言う。
まあ、確かにそこはありがたい配慮としても、どこまでが神様の仕業でどこからが己の意思なのだろうかと考えると、まったく奇妙な感覚で。
徳次郎に『お前がこの家に住むことを良しと思ったのも神様の仕業なのか?』とたずねたら。
ひどく驚いた顔になって「聞いてくる」と、ものすごい勢いで家を飛び出して行ってしまった。
そして一刻後。
戻ってきた徳次郎は、満面の笑みで。

「違ったぞ健介、俺に居て欲しいと思っているのはお前の意思だ、安心しろ」

言い放った言葉に、一体、なにを安心するのだろうと。
むしろ、徳次郎のほうが安心しているようだと。
そう思ったが、とりあえず徳次郎の機嫌が良いのでつっこみはしなかった。
しかし、徳次郎と一緒に暮らしているのが自分の意思だという答えに、ますます不思議に思う。
いくら徳次郎が昔飼っていたあの鶏の徳次郎だといっても。
今、目の前に居る青年はやっぱり人間で、あの鶏とは違うのだ。
それなのに目の前の徳次郎と一緒に暮らそうと思ったのは、何故なのだろうか。
やっぱり、何かしらの神様の仕業とやらが働いているのではないのだろうかと思うが。

「健介、これからもずっと俺が居てやるからな、これは俺の意思だからな、安心して良いぞ」
「…………………まあ、いいか」

こちらの考えなどまったく考えもつかない様子で、自信満々に宣言する徳次郎に。
小難しいことを考えるのを放棄して、もっと堅実的に今日の夕餉のことでも考える。
つまるところ、徳次郎との日々は己にとって心地よいものなのだ。

 

徳次郎と日記

【 健介 】 side

徳次郎は日記を書いている。
人間の姿になるようになってから、人として生きていく為の訓練の一環として、日記を書くようになったらしい。
あまり人に日記を書いている姿を見られたくないのだろう。
大抵こちらが風呂に入っていたり、食事を作っている間に、徳次郎は茶の間の端っこで、緑色の背表紙のついた大学ノートに鉛筆でちまちまと何かを書き連ねている。
トンボのマークの入った鉛筆が、そろそろ短くて使いずらいだろうと新しい鉛筆を買ってやると。

「健介、セロハンテープを貸せ」

といって、鉛筆の尻と尻をくっつけて、更に短くなるまで使っていた。
基本、4センチ未満まで使うのが常識なのだそうだ。
そして、見事4センチ以下になった鉛筆を徳次郎は大切そうにブリキの缶に入れて。

「この中が一杯になればなるほど、俺は人間に近づくんだ」

そう缶を抱えて、嬉しそうに笑う。
そんな徳次郎に一度だけ「何故人間になりたいのか」と、聞いたことがある。
いつもはきっぱりはっきり答える徳次郎が、その時、珍しく言葉を濁して。
秘密だと、そう締めくくったから。
それから二度と、人間になりたい理由を聞けないでいる。
時折。
あの日記には、なにが書かれているのだろうと思う。
そして何故、徳次郎は人間になりたいのかと思う。
でも日記を見てしまうと、理由を聞いてしまうと徳次郎が消えてしまいそうで。

「健介、見ろ。また一本鉛筆を使い切った」

笑う徳次郎に笑い返す。
しかし、心の中は少し複雑だった。
日記を書く徳次郎を見るたびに、きっといつの日かこの奇妙な同居人がいなくなるのだと。
そう思って、少し怖いのだ。