日常2

徳次郎と抱っこ

【 徳次郎 】 side

 

健介は、阿呆だ。
まったくもって、自分の歳と言うものを軽んじているところがあると思う。

「あ、そこだ。徳次郎、そこに……あいたたたた……」

ぺたり、ぺたりと。
白くてくさい湿布とやらを、シャツをめくって横になった健介の腰に貼ってやる。
健介は一昨日、娘の真理子が連れてきた孫の春香を抱っこしすぎて腰を痛めた。痛めたというか、筋肉痛だ。一日遅れで痛みが出るあたり、完全に歳なのだから。
まったく、加減がわからぬ阿呆だ。
普段、健介は幼稚園の園長をしているが、特別扱いになるとかで園児を抱っこということが出来ないらしい。だから、思いっきり甘やかすことが出来る孫娘にほとんど一日中、抱っこやら高い高いやらをしてしまうのはわからなくもないが。

「去年も筋肉痛になったのに、学習能力がないぞ」
「…………なんで、知っているんだ」
「去年も見ていたからな」

健介に姿は見えないくても。俺はずっとこの町にいて、ずっと健介を見ていた。
だから知っている。
孫娘の春香が、去年に比べてどれくらい大きくなっているのか。昨年に比べてずっと重くなっているのは抱き上げなくてもわかった。
抱き上げた健介はもっとわかっていただろうに。

「……健介は阿呆だ」
「仕方ないだろう。可愛いんだから」
「真理子は抱っこ癖がつくから困るといっていた」
「まあ、たまには良いじゃないか、何かを抱きしめることはとても気持ちが安らぐ、良いことことなんだぞ」

湿布を貼り終わってシャツを下げても、腰が痛いのかそのままうつぶせになったままで健介は小さく笑ってそう言うから。

「じゃあ、俺を抱き上げればいい」
「…………………………なぜ?」

そこで、なぜと言うのか、お前は。
首だけひねって、訳がわからんといった顔で俺を見上げる健介に腹が立つ。

「昔は、良く俺を抱き上げていただろう」
「ああ、鶏の時か」
「最近は抱き上げもしないし、撫でてもくれない」
「……今は鶏じゃないだろう。お前を抱き上げたら筋肉痛どころじゃないな」
「じゃあ、鶏の姿になれば良いのか」
「鶏の姿か……」

健介の理屈だと、鶏じゃないから出来ないと言うから、鶏の姿になるというのにそれでも返事を渋る。

何かを迷うようにしばし、唸った後。

「徳次郎。春香は柔らかくて、甘い、赤ちゃんの良い匂いがするんだ」
「それがなんだ」
「でも、お前はちょっと土埃臭い」
「!」
「いっ!! い、痛いぞ、徳次郎!」

思わずムッとして、目の前の腰を叩くと健介は悲鳴を上げてごろごろと畳の上をのた打ち回った。
もう良い。こんな阿呆は筋肉痛で寝込んでいれば良い。
動くのがつらそうな健介に今日はなるべく傍にいてやろうと思ったが、もうそんな気も失せて町の見回りに出ることにした。
立ち上がって縁側に向かう俺の背中に。

「でも、そうだな。徳次郎は太陽の匂いがしたな」

…………そんな、ご機嫌取りにひっかかると思っているのか。

トンと、軽く地面を蹴って屋根に上がる。
そしてごろりと、屋根の上に横になった。
べつに、見回りに行くのをやめたわけじゃない。

暖かな春の日差しに、瓦が丁度良い塩梅に暖められているから。ちょっと見回りは夜でも良いかと、そう思ったのだ。
だから別に。

「……許したわけじゃ、ないからな……」

今度、絶対に。
鶏の姿で飛び掛って、無理やり抱っこをさせようと。
そんなことを考えながら。
俺はゆっくりとそのときの事を考えながら目を閉じた。

 

徳次郎と幼稚園

【 徳次郎 】 side

 

健介に幼稚園の園長という仕事があるように、俺にも神使としての仕事がある。
俺の主がいる北見山神社を中心に『気』が滞りなく流れるように、邪気が溜まらないように。
毎日の町のみまわりは大事な役目だった。

「ふむ。今日も異常はないな」

一通り町を見て回って。
いつものようにこっそり健介の幼稚園の屋根に降り立って、そよそよと良い風と一緒にめぐる気の気配を確認してうなずく。
今は昼寝の時間だろうか。
静かな幼稚園の雰囲気に、いつもは幼児が群がっている運動場の遊具がつかの間の休息にほっと息をついている気がする。
幼い子が放つ、まじりっけのない陽の気はとても気持ちが良い。特に今日は良い天気で、俺は屈めている背をうんと伸ばして日の光を体一杯浴びたい衝動に駆られるが、すんでのところで我慢する。
幼児というのはこちら側にとても繋がりやすい。
普通の人間に俺の姿は見れないが、幼子はふとした瞬間にうっかり見えてしまうことがある。
まあ、別にちょっと見られたくらいで俺は困らないのだが、ただ健介がお願いするから、俺はこの幼稚園ではなるべく姿を見られないように気を付けていた。
なにやら、俺の姿を見た幼児が真似して屋根に上りたいと言い出したり、屋根の上に人が居るのが見えたとか見えなかったとかで喧嘩になったりするらしいのだ。
だから来るのは良いがあまり目撃されるなと、困った顔で言う健介に。兄として、弟を困らせるわけにはいかないから、俺は律儀に健介の願いを聞き入れている。

 

しかし。

「…………」

正直、こそこそしているのは性に合わない。
こんなにも良い天気で、こんなにもいい気が溢れているのに。
体を縮めたままそろそろとこの場を去るのはなんとも後ろ髪を引かれる。
そもそも、心配の幼児は眠っているのだから。
ほんの、ちょっとだけ。

「くっ、ぁ~~……」

ぐーんと伸びをして、あくびを1つ。
気を吸い込むと腹の奥があったかくなって、ぐるりとその熱が体をめぐる。
ああ、なんて気持ちが良い。
要は見つからなければ良いのだ。
それなのに変に我慢して馬鹿だったと、晴れ晴れとした気分で屋根の上に仁王立つ。
そこへ。

「あーいけないんだあ、そこにのぼったらおこられちゃうよぉ」
――あ。

舌足らずな、トーンの高い声にぎくりと視線を下げれば、髪をおかっぱにした童女が俺を見上げていた。
見上げて……
とてもしっかり、見られている。
くりくりとしたドングリまなこに、さっきの良い気分が全部吸い取られてしまって、代わりに
己の失態に後悔が襲ってきて、そんな俺に更に追い討ちをかけるかのように、聞きなれた声が耳に届いた。

「ゆきちゃん、なにをしているんだい?」
「あ、えんちょーセンセー」

俺を相手にしているときとは違う、柔らかなトーン。
いつもと耳の障りが違って、つい、俺は立ち去ろうとした腰を上げ損ねる。

「今はお昼寝の時間だけど、ねむれないのかな?」
「まどのそとにね、ちょちょがじっとゆきをねみてたの。だからゆきね、いっしょにおひるねしたいんだとおもってね、でてきたの」
「うん、そうか。ゆきちゃんは蝶々さんをお部屋に入れてあげようと思ったんだね」
「でもね、ちょうちょ、ひらひらーっていっちゃったの。だから、ゆきもちゃんとね、もどろうとしたんだけど、そしたらね、へんなこえがきこえてね」
「変な声?」
「うん、やねのうえにね、ひとがいたの」
「屋根の上?」
――ああ、ばれた。

『屋根の上』と言われて、明らかに健介の声が下がった。
たぶん、すべてを察したんだろう。
軒下の動く気配に視線を下げれば、俺を見上げる健介の困った顔があった。
その目は『徳次郎、見つかったな』と言っている。
それに俺は『すまん』と視線で返して、これ以上は健介を困らせまいと屋根の上を静かに蹴って、その場を離れた。
背後に遠のく健介の声を聞いて。
陽の気が溢れる場所でも、あの幼稚園がとくに心地よく感じるのは。
もしかしたら健介の、あの柔らかな声が溶けている所為なのかもしれない、ふと、そんなことを思った。