徳次郎と適正年齢
【 健介 】 side
「健介は良いな、髭が生えていて」
「ん?」
羨ましそうにつぶやく声に新聞をから顔を上げると顎に徳次郎の指が触れて。
ザラリと髭を撫でられた。
「俺にはいつになったら髭が生えるんだ……」
「そういえば、徳次郎はまだ髭が生えていないな」
恨めしげに人の髭を見る徳次郎の顎はまだつるりとしていて、髭が生える気配が無く意外に思う。精神年齢で言うのなら徳次郎はまだ10歳そこらの子供だけれど、体躯だけならもう十分な大人に見えるのに、髭が生えないということはまだまだ体も子供なのだろうか。
そこまで考えて、唐突に前から思っていた疑問を聞いてみたくなった。
「徳次郎は、なんでそんな体なんだ?」
「ぬぅ? それはどういう意味だ?」
「いや、まだ徳次郎は人間になるようになって5年くらいなのだろう? それならもっと子供の姿じゃないかと思ったんだが」
「何を言っているんだ健介。俺は今年で61だぞ? だからそれ相当の体が必要なのはあたりまえだろう」
確かに、鶏の時期から考えるとその年齢だが、そこを加味してもやはり徳次郎は10歳くらいの体が似合っていると思う。
「徳次郎、くすぐったいぞ」
「んー」
余程髭が羨ましいのか、しつこく人の髭なでて生返事を返す様子は子供だが。
しかし実際の姿は立派な成人男性で。そんな相手に顎を撫でられていると言うのはとても微妙な気持ちになる。
これがまだ中身に伴った姿なら、微笑ましくもあるのだが。
「北見山の神様はなんで今の姿にしたんだろうな」
もうちょっと北見山の神様は良く考えて徳次郎の姿を決めてくれればよかったのに。そんな思いがつい口から漏れたら。
「本当は、もっと健介より年上が良かったんだが。北見山の主がそれはダメだというから、妥協に妥協を重ねてこの姿になったんだ」
「……」
前言撤回。北見山の神様は良く頑張ってくれていた。
自分より年上の姿の徳次郎を想像して……想像もできなくて。
まだ、見ようと思えば大きな子供として見ることが出来そうな姿にしてくれた北見山の神様に感謝しながら、願わくば、早く内面も外見に似合った成長をしてくれればと思う。
「でも、結局、徳次郎の体は何歳くらいなんだろうな……」
浮かんだ疑問は解消されないまま。
きっと、子供の徳次郎はもっと可愛いだろうにとこっそり思うのだった。
徳次郎と甚兵衛
【 健介 】 side
ぽかぽかと、とても良い洗濯日より。
庭先の物干し竿にハンガーを引っ掛けて、洋服や、タオル、靴下を吊り下げていく私の横で、徳次郎がシワを伸ばすように洗濯物を手のひらで叩く小気味のいい音が響く。
あとで布団も干して、いい感じに咲いた庭のツツジを見ながら縁側で一服するのもいいかもしれない。
そう考えながら、徳次郎の甚兵衛をハンガーに通したところで。
「ん?」
不意に、裾の裏へ墨で小さく書かれた筆文字が目に入った。
「これは、|龍之丞《たつのじょう》と読むのか?」
今まで紺色の濃い生地のせいで、墨で書かれたその文字に気がつかなかったのだろう。
おそらく前々から書かれていたであろう、すこし色落ちした文字を読み上げて、首をひねる。
(一体、誰の名前だ?)
龍之丞というのは普通に考えれば名前だろう。
しかし、なぜ、こんなところに。
この甚兵衛の製作者だろうか。
それにしてはあまりにぞんざいな場所に……
「どうした、健介」
つらつらと、龍之丞という名前の存在について考察をして、手が止まってしまった私に、徳次郎は気がついて不思議そうに手元を覗き込んできた。
そして、同じように名前を見つけて。
「なんだ、その名前がどうかしたのか?」
「いや、なんで、ここに名前が書かれているのかと思って」
「なんでって、持ち主が自分の持ち主に名前を書くのはよくあることだろう」
「え?」
「ん?」
思わず徳次郎の顔を見て、首を傾ければ、徳次郎もまるで真似をするように首を傾げた。
「いや……これは、徳次郎の甚兵衛だろう?」
「いや、違うぞ?」
「え?」
「ん?」
再び、同じ、ポーズを二人でとって。
「ああ、うん、ちょっと整理をしよう。てっきりこの甚兵衛は徳次郎のものだと思っていたが、もしかして借り物なのか?」
「ああ、この甚兵衛も、他の着物や草履も、北見山神社の蔵からの拝借したものだが、何だ、気がついてなかったのか」
「……」
けろりとした様子で、「ちなみに龍之丞は先々代の神主だ」と、そうのたまった徳次郎に、私は出来れば、今の言葉は聞かなかった事にしたいと思った。
今までてっきり、徳次郎の衣服はよくある神様の力みたいなもので作ったものだと思っていたのだ。
たしかに考えれば、衣服に妙に使い古した感があったような気がするし。何故今の時代に着物なのだろうかと思ったりもしたが。
(借り物なら、もうちょっと大事に使うべきだろう……)
やはりまだ人間としての感覚が養われていないのか。
神使の仕事からか、時折、泥で汚したり、たまに何かにひっかけて裾を破ったりしていた徳次郎の様子があまりにも悪びれていなかったから。
いや、まあ、別に悪気があって汚したり破ったりしたわけではないし、普段はぞんざいに使っている、というわけじゃないが……いや、それにしても。
不意に、この前裂けた部分をつくろったが、針仕事にあまり明るくないから、あまり綺麗に繕えなかったのを思い出して、頭を抱えたくなってくる。よく見たら、手元の着物は意外としっかりとした布地で、もしかして、これ、結構なものなのではないのかと。それを洗濯機で、洋服と一緒に、適当に洗ってしまったが良かったのか。
今更ながらに次々と後悔が襲ってくる。
「健介? どうしたんだ?」
「どうした、じゃない……徳次郎、借り物なら、もっと大事に扱うべきだろう」
「むぅ?」
思わずトーンの落ちた声でそういえば、徳次郎は困惑したように眉間にシワを寄せた。
「大事に、扱っているぞ?」
「でも汚したり、破ったりしただろう」
「わざとじゃない」
「それでも、借り物なんだから、もっと普段より慎重に扱うべきだ。徳次郎だって、人に貸したものが、汚れたり、壊たりして戻って来たら嫌だろう?」
「うぬぅ……たしかに嫌だが……」
私の言葉に、納得はしたようだが妙に困ったように徳次郎は首を傾げる。
まだ、なにか引っかかる部分があるらしい。
「しかし、北見山の主が、ちゃんと龍之丞には許可は取ったから、たくさん使うのはダメだが、いくつかは自由に使っていいと言ったぞ?」
「その自由に使っていいと言うのは、拝領か拝借かで、だいぶ変わってくるんだが。貸すっていう意味なんだな?」
「……言われてみればちゃんと聞いてないな。しかしそれが重要なことか?」
「重要だ」
「そうか?」
「そうだ」
首をひねる徳次郎に力強く頷けば、そういうものなのか、とやっと意を得たという面持ちになって。
「分かった、北見山の主にちゃんと聞いてくる」
「そうしてくれ」
このままじゃ、呑気に一服する心地にはなれないと、洗濯物の余りを気にする徳次郎を、残り少ないから、むしろそれよりはやく答えが知りたいからと見送って。
四半刻後、どうやら「拝領していい」という意味だったことに胸を撫で下ろし。
それにしても、「神様は服とか創り出してはくれたりしないのか」と、ふと湧いた疑問を、口にすれば。
徳次郎になんだか妙に諭すような口調で「神様と言うが、そこまで万能というわけじゃ無いんだぞ」と、言われてしまった。
鶏を人間にできるのに、なぜ服の一着や二着つくれないのか。
なんだが釈然としないが、「そういうものだ」といわれてしまえば、神様の理というものが一体どういうものなのか皆目検討もつかない世界に住んでいる私としてはそうかと頷くしかない。
何はともかく。
「……今度、服でも買いに行くか」
いくらなんでも、何時までも貰いっぱなしは駄目だろう。
そう思って。
次の日曜日。
服売場で小一時間迷って、結局、洋服を着た徳次郎が想像できずに甚兵衛を買ってしまったのは、また別の話だ。